探せばもっと美味しい納豆があるはずだという期待を持たせるような、懐かしい豆の味がした。それが、私が初めて海外で出会った納豆であった。(p.8)
納豆とは何なのか? 私たちが基準とする日本の納豆とは、どのようなもので、それはどのように生まれたのか再検討してみたい。(p.25)
北海道で生まれ育った私は、幼い頃から納豆を食べていた。疑いもなく納豆は、日本だけに見られる食品だと思っていたし、納豆の起源は日本だと思い込んでいた。(p.53)
首都ヴィエンチャンで、トゥアナオのことを尋ねると、その存在自体は知っているが、食べたことがない人が大半である。しかし、北部では皆が知っているなじみ深い食べ物である。(p.89)
ドゥアンカームさんは、薪にこだわり、竹カゴにチークの葉を敷き詰めて発酵させ、そして機械を改造したり、倉庫を改造したり、様々な工夫を凝らしていた。それは、生産性を向上させるための努力というだけでなく、納豆づくりそのものを楽しんでいるようにも思えた。(p.138)
ミッチーナ中心部の市場に出かけると、目的とする納豆はいとも簡単に見つかった。葉に包まれた状態で並べられている。おそらく、当地の納豆を知らない旅行者は、これを納豆だとは認識できないであろう。しかし、その葉を開いてみると、強く糸を引く納豆が姿を現す。(p.173)
店の軒先にカゴに入った野菜などが売られていたのだが、その中に見慣れない直径六〜七センチメートルほどの丸い玉のようなものを発見した。日本の戦国時代につくられていた携帯保存食の「兵糧丸」にそっくりの形である。モンパ族がつくる納豆だという。(pp.259-260)
照葉樹林文化論だけに依拠して、それに引っ張られるのは良くない。納豆の起源を考える際は、まず自分の目で見てきた事実、民族の移動の歴史、そして照葉樹林文化論で論じられた文化複合を総合的に加味しながら論じる必要がある。(p.280)
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